約束の時間はとっくに過ぎた。



「おい、ジャン、21時に中央通りの公園に集合だ。いいか?いつもみたいに遅れんなよ」

偉そうにそう言っていた当の本人はまだ姿を見せない。


うー、寒ぃ。
冷たい風が頬を撫でつけ、俺はブルリと身体を震わせた。
春とはいえ、この時期の夜はまだ寒い。

――――
 ったく・・・、早く来いよな、馬鹿イヴァン・・・

心の中で毒吐きながら、俺はここに来て何本目か判らない煙草を靴の裏で踏み潰した。












 ハルノカゼ















昨日屋台でランチを食べている時だった。

「おい、イヴァン、何かついてんぜ?」

イヴァンの肩の辺りに白くて丸いものが乗っているのに気付き、親切に指を差して教えてやると、
「ん?・・・ああ、これか・・・。・・・・こりゃサクラの花びらだな・・・」
ヤツはそう言って黒いスーツの肩についていたものをそっと指で摘んだ。

「サクラ?なにそれ?」
初めて聞く花らしき名前に首を傾げると、イヴァンは呆れたように、
「おまえ知らねえの?信じらんねー」
まるで馬鹿を見るような視線を俺に向けた。

だって仕方ねえじゃん。俺、お花よく知らないし。

「サクラってのは知らねえけどさ、薔薇とチューリップの見分けはつくぜ!」
自信満々で親指を立てる俺に、イヴァンは大袈裟に溜め息を吐いた後「アホか・・・」言い捨てた。
ていうか、イヴァンがお花の名前を知ってるって方が俺にはフシギなんだけどね。

「なぁ、サクラってそんなに有名な花なのか?」
イヴァンに聞いてみる。
別にお花に興味があったわけじゃない。一般常識なら知っておかないと、と思っただけだ。

「おまえさ、ジャパニーズマフィアは知ってるか?」
「ジャパニーズマフィア?」
うーん・・・・・・聞いたことあるようなないような・・・
ていうか、サクラからジャパニーズマフィアに唐突に話が飛んだ意味が判らなくて、顔にクエスチョンマークを貼り付けていると、
「日本のヤクザだよ。ったく、カポになろうってヤツがそんな事も知らねえのかよ?」
「う・・・・」
また呆れたような顔をされた。
ベルナルドやルキーノに言われてもどうってことない言葉も、イヴァンに言われると傷付くのは何故だろう。

白い花びらを掌に乗せて
「ジャパニーズマフィアの大ボスってのはよ、背中にこの『サクラ』のタトゥーが入ってるらしいぜ。
んでもって、『サクラ吹雪』つったかな、そいつを見せるだけで、敵や裏切り者はビビりまくってひれ伏すって話だ」
ふふん、どうだ?オレ様は博識だろ?みたいな感じでイヴァンは得意気に鼻を鳴らした。
うへぇ、マジか!?俺にはよく判らないけど、そんな国があるのか。俺は妙に感心してしまったのだが。
「でもよぅ、そんな小せえ花びらからすれば、花自体はそんなに大きくないんだろ?そんなのが絵になるのか?」
そう、イヴァンの手に乗っている花びらはゴミと見間違えても仕方ないような小さいものだ。
ゴージャスさに欠けるような気がするのは気のせいじゃない。ひれ伏すほどの迫力があるとは思えない。
怪訝そうな顔をしていると、
「そりゃ、お前が見たことないからだ。結構凄ェぜ」
以前に見たサクラを思い出しているのか、そう言いながらイヴァンは目を細めた。

それを見て、俺はふと、その花を見てみたいという思いに駆られた。
ジャパニーズマフィアにも勿論花にも興味ない。が、イヴァンがいいと言うものには興味があるのだ。
「なあなあ、それって今咲いてんの?」
「ん?ああ、まだ咲いてるはずだ。でも2、3日中には散っちまうかもしんねー。なんならその前に一緒に見に行くか?」
「へ?一緒に?いいのか?」
「ああ。但し俺は明日の夜じゃないと身体が空かないんだけどよ、それでもいいなら・・・」
「明日の夜なら俺もOK♪」

そんなこんなで、中央通の先にある公園に一本だけ植えられている『サクラ』というやつを一緒に見に行くことになって、

で、今こうやって俺はここでイヴァンを待っているわけなんだけど。








ちっくしょ、来ねえなー・・・・・

頬に受けた春の風が思いの外冷たくて、盛大にぼやきながら紫煙を深く吐いたけれど。
それと同時に一抹の不安が胸を過ぎった。
イヴァンが俺を待たせるのは珍しい。
実は イヴァンはああ見えて、約束の時間をきっちり守る律儀なヤツなのだ。
今まで何回もこうやって待ち合わせをしたことがあるけれど、先に来て待っているのはイヴァンの方。
ルーズな俺はいつも約束の時間よりかなり遅れて到着し、「遅ぇよ!」と怒られている側で。

・・・・それにしても遅い。
何かあったのかなぁ・・・・・・
まさか、
・・・・・事故とか・・・・・・・じゃないよな・・・・・・・

不吉な考えた頭の隅を過ぎった時、
「っ!?」
遠くの空で救急車のサイレンの響いているのが聞こえ、思わず身体が強張った。
バクバクしている心臓を押さえながら、嫌な想像を打ち払うように強く頭を振る。

馬鹿だな・・・・・、何考えてんだよ、俺・・・・・
大丈夫、大丈夫。ちょっとばかり遅れているだけだ。
もうすぐ来るさ・・・
ああ、きっと道が混んでんだな、
うん、きっとそう。
渋滞を抜けたら爆風のようなスピードで
タイヤを軋ませながら俺の目の前にメルセデスを停めて、
『悪ぃ、待ったか?』って、決まり悪そうな顔で現れるはずだ。

・・・・・・・・・・・・・・・夜に渋滞なんかないことくらい判っていたけれど、
そう思い込まずにはいられなかった。



『悪ぃ、悪ぃ、待ったか?』
『遅ェよ、ジャン!!テメェはどんだけ俺を待たせりゃ気が済むんだ!』
『だから悪かったって。そんなに怒んなよ〜、イヴァンちゃん』
『うっせえ!遅れるんなら部下でも使って連絡ぐらい寄越しやがれ!心配すんだろが、このボケ!』
『まぁまぁ、たかが30分遅れただけでそんな怒鳴んな。禿げるぜ〜』
『なんだと!?ゴルァ!こっちはな、事故ったんじゃねえかとか、襲撃にあったんじゃねえかとか、ハラハラしながら待ってたってのによ、呑気な面して現れやがって、クソっ、むかつく!心配して損したぜ!』

目を吊り上げて怒るイヴァンに『ゴメン、ゴメン、悪かったよ。そんな怒んな』と、いつも軽く往なして反省なんてしていなかった自分を大いに反省する。
実際こうやって立場が逆になると、確かに不安なものだという事がよく判る。
本気で禿げ上がりそうだ。
いつも心配掛けていたんだな、俺。
ほんっとうにゴメン!もう二度と遅れないから。

だから。
早く来てくれよ。



しかしイヴァンは現れず、時計の針だけが進んで行った。


俺の中で悪い予感がどんどん膨んで行く。


イヴァンが俺に要らぬ心配をかける訳がない。
だから、何かあったんだ、イヴァンの身に。
そう確信した俺は、一番近い公衆電話を目指して走り出した。





ワンブロック先にあった電話の受話器をむしり取るように掴んだ俺はコインを入れ、イヴァンの部屋の番号を回す。
出ない確率が高いと判っていても、掛けずにはいられなかったのだ。

コール1回、2回、3回・・・・

出ねえ・・・・
やっぱこっちに向かってる途中で何かあったのか・・・・・?
4回、5回、6回・・・
・・・ちくしょ・・・・・出ねえな・・・・・
そして7回目を数え終え、
こうなったらベルナルドに頼んで探してもらうか?
そう思い、受話器を置こうとした時、ガチャリと、誰かが受話器を取った音がした。
イヴァンの部屋の電話を取るのは、イヴァンかドロボーさんしかいない訳で。
というか、用心深いイヴァンの部屋に忍び込めるヤツが居るとは到底思えない。
てことは・・・・・、電話に出たのはイヴァン?てか、まだウチにいんのか!?
ぐあー!あんなに心配して損した!クソ馬鹿イヴァンめ、何してやがんだ!?
どこかで聞いた事のある台詞が頭の中を駆け巡る。

「もしもーし、こちらラッキードッグ。イヴァンさーん、どうしたんですか?」
お約束の時間、とっくにすぎてますよぅ・・・・と続けようとした俺の耳に、
ゲボゲボと激しく咳き込む声が受話器の向こう側から聞こえた。
「ど、どうした!イヴァン!」
「ジャン・・・・・、悪ィ・・・・・・、ちょ、具合悪くてよ・・・・・・、少し寝てから行こうとしたんだけど、ちくしょ、もうこんな時間かよ」
その声は酷いだみ声で。
どうしたんだ?と聞くまでも無く、風邪で喉をやられたんだと悟る。

どういうことだ!?バカは風邪ひかないって定説はどこ行った!?
ああ、そっか。春の風邪は馬鹿がひくのか?性質悪ィな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
でも
良かった。
イヴァンが無事で。
いや、無事じゃないような声だけれど、無事で良かった。
俺は胸を撫で下ろした。



「ゲホッ・・・・い、今から・・・・」
行く、と言いかけたイヴァンの言葉を、
「あー、来なくていいって。代わりに俺がそっち行くから、おとなしく寝て待ってろ」
俺がそう言って遮ると、

「バカ、来んな」
と、命令口調のだみ声が聞こえ、
てっきり「ありがとな」なんて殊勝な返事が来ると思っていた俺は思わず
「へ?今何て言った?」
聞き返す。

「ゲホッ、お、お前によ、風邪うつしちまったら困る・・・から・・・絶対来んなよ!・・・・ゲホゲホッ!」
うわ、咳き込みながら怒鳴っていやがる・・・・。
つーか、コイツは正真正銘の馬鹿だなぁ・・・と心の底から思った。
「来るな」と言われれば行きたくなるのが人間のサガってもんじゃないのか?
それより何より、こーんなゲボゲボ言ってるヤツを、「来るな」「はい」と見捨てておける程、俺は鬼じゃねェし。
つーか、俺はお前の何?
コイビトってやつじゃねえの?
看病するの、当たり前だろ?ばーかばーか。
胸の内でそこまで一気に捲し立て、
「風邪は死ねる病気だってルキーノが言ってたぜ。まー、とにかく待ってろよ」
それでもまだ、ゲボゲボと来るなを繰り返す声を、受話器を置くことで一方的に会話を終わらせた。




さて、と。
確かイヴァンの部屋には薬の類なんか置いてなかったよな?冷蔵庫にはビールだけだったっけ?んー?玉子ぐらいあったか?
んじゃ、アレができるな。
以前、俺の具合が悪い時にイヴァンが作ってくれた、ションベン臭ぇアレが。
目の前で作っていたのを見たから、手順は大体判っている。
アレはクソ不味かったが確かに一発で治った。
イヴァンが作ったやつは、砂糖が多かったのが敗因だと俺は思うんだ。
俺が作れば数倍美味く作れるに違いない。

そんな事を考えながら、俺は大きい通りに出てタクシーを拾った。





持っていた合鍵で部屋に入ると、イヴァンはベッド・・・ではなくソファにグッタリと横たわっていた。
が、手に持った銃口がピタリとこちらに向いている。んー、流石だね。
俺だと判ると、イヴァンは銃を持っていた腕をだらんと垂らし、

「来んの遅ェよ・・・・・・・・」

溜め息混じりに呟きやがった。
おいおいおい、『来るな』って言ってたくせに、来たら来たで『遅ェ』って、なんつーワガママ人間だよ・・・・・とは口に出さない。
人間病気になると心細くなるもんだ。例え馬鹿でも。
それに、来てくれて嬉しい、なんて素直に言うやつじゃない事は初めから判ってるし。
ん〜〜〜、カワイイやつ!素直じゃないところも、憎まれ口叩くところも、全部ひっくるめて愛おしく思えて仕方ない。
俺は男だから、こういう時に使う言葉かイマイチよく判らないけれど、これが多分母性本能ってやつなんだろうな。
ま、カワイイなんて言ったら目ぇ剥いて怒るに違いないだろうから絶対言わないけど。


イヴァンの傍に行きデコに手を当てると掌に高い熱が伝わる。
「・・・・・ふぅ・・・・・・・」
俺の手が冷たくて気持ちいいのだろう。イヴァンが安堵したような息を吐いた。
「・・・熱、結構高ェな・・・・・、よし。今から今からいいモン作ってやるよ」
「いいもん・・・・・・?て、まさか・・・・・」
「そ、玉子酒〜〜wwお前が作るより数倍美味しく作ってやるよ」

そう言ってニヤリと笑いながらデコから手を離し踵を返た時、熱い手が俺の手首を掴んだ。

「俺より美味く・・・だとう?聞き捨てならねえな・・・・・・ゲホゲホ・・・・・」

熱で潤んだイヴァンの目が怒ったように俺を見上げていた。
うあー・・・、こんな時に妙な対抗心出しちゃってるよ、困った人だね・・・・・・。

咳き込みながら起き上がろうとするイヴァンを「馬鹿、寝てろ」と制すると、不貞腐れたような面をしつつおとなしく俺に従った。多分自分で思っている以上に具合が悪いんだろう。
「まあ、待ってろ、な?」
ニッコリ微笑みかけるとイヴァンは、
「仕方ねえから・・・・・飲んでやる・・・。どう足掻いても、俺より美味くできるわけねえけどな」
染みだらけの天井に向かって毒を吐いていた。



コポコポコポ・・・・・・
以前イヴァンが作ってくれたより卵一個多く入れて完成した玉子酒。やっぱりドロドロでゲロみたいだったが、俺はそれをちゃんとマグカップに移してイヴァンの前に出してやる。
「ほら、熱いうちに飲めよ」
「ああ・・・・・」
どっこらせ、と起き上がったイヴァンにカップを渡すと、「俺が作るのよりドロドロしてやがる・・・」と見た目に文句をつけられたものの、味に関しては何一つ言わずおとなしく飲み始めた。

カップ半分ぐらい減ったところで、イヴァンがふと顔を上げた。
「今日は、その、・・・悪かったな」
一緒にサクラの花を見る約束を反故にしてしまったことを謝っているのだろう、真摯な瞳が俺を見る。
少し潤んでいるのは熱が高いせいだろうか。

「いいって事よ。具合が良くなったらまた行けばいいんだし」
「今日風強かっただろ?」
「ん?ああ、確かに強かったかも・・・」
さっきまで晒されていた冷たい春の風を思い出す。すると、

「この風で花が散っちまうかもしんねえ・・・・」
「え・・・?そ、なのか?」
「ああ・・・・・」

散る前にお前に見せてやりたかったと、イヴァンは残念そうに溜め息を吐いた。

「なあ、ジャン。熱を下げるには汗を掻きゃいいんだっけ?」
「は?・・・・んー、まぁそういう説もあるっちゃあるが・・・」
「だったらよ、エロいことしたら下がると思わね?あれって結構汗掻くしよ」

思わねー、全然思わねー。これっぽっちも思わねー。
一体そんな身体で俺にナニする気だよ!ていうか、そんな身体で勃てるもんなら勃ててみやがれ。
なんつーありえねえ事を考えるんだ、この馬鹿は。ウイルス脳ミソまで行っちまったんじゃねえのか??
「ったく、しょーもねえこと考えてないで、早くそれ飲んでおとなしく寝ろ」
「・・・・ちぇ・・・・、やっぱダメか・・・。ま、今日のところはオトナシクしといてやる」
イヴァンは残りの玉子酒を一気に飲み干し、再びソファに寝転がった。

「なあ、イヴァン」
「ん?」
「花はさ、来年も咲くんだろ?」
「ああ・・・」
「だったらいいじゃねえか。来年の春、二人で見に行こうぜ。
つーか来年だけじゃなくてさ、その次もその次の春も一緒に行けばいいじゃん」
俺がそう言うと、イヴァンは少し驚いたように俺を見た後、

「・・・・・・・・・・・・・・・ああ・・・・、そうだな・・・・・・」
はにかんだ様に、小さく笑った。

慰めるだけの言葉じゃなく本当にそう思っている。
慌てなくてもいい。季節は巡る。
そして、ずっとずっと、俺達は一緒なのだ。

顔を近づけると、「馬鹿、よせ、伝染る」とイヴァンは顔を背けたけれど、
熱い頬を掌で包み込み無理矢理俺の方を向かせた。
病人には少し乱暴だったかもしれないが。
「ったく、・・・・伝染ってもしらねーぞ」と動く唇に
「そしたらまたお前が玉子酒作ってくれよ、俺より美味いやつ」

そう囁いてから、イヴァンの熱い唇にキスを落とした。







甘いっちゅーか何ちゅーか、イヴァジャンは好き過ぎてエロが書けない。ごめん(誰に謝っとる)
つーかイヴァジャンでエロが書ける日が果たして来るのだろうか・・・・・・(-ω-;)ウーン

ちなみにイヴァンは「遠山の金さん」を日本のヤクザのボスだと思ってるらしい(笑)


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